気仙沼にっき。

日曜日は、整体チームにくっついて、気仙沼の避難所へ行ってきました。

大工のごとーさんは、いつものごとくすぐにラチられ、、
マッサージチームは、マッサージ始めるでしょ。
で、私は??
避難所スタッフのヤマザキマサヨシさん(仮名)
ゆ「なにかありますかー?(・∀・)」
ヤ「なんでもできますか?」
ゆ「えー。」
ヤ「なんかやばそうだなぁ。」
なんてやり取りした後、
連れてかれたのは『写真の修復作業』しているところ。

ゆ「わー。これ、やってみたかった(・∀・)」
はしゃぎながら作業場に入ったら、
そこに干してあった写真ばらまき散らして、
早速ヤマザキマサヨシに「やっぱ、このヒトやばい。」みたいな顔された。


なんでも、前から気仙沼入りしていたキヤノンの社員さんが、
今回は写真学科時代の『先生(教授さん)』を連れてきてたんだって。2人も。
写真の修復って、フツーは『お湯』を使うらしいんだけど、
今回から、薬品を使った高度なモノへ、、、
そんな貴重な時に、一緒に作業させてもらえました。
と言っても、会話の内容が難しすぎてさっぱりわからなかったけど。


いろんなヒトのいろんな写真。

気仙沼のほんの一部で見つかったアルバムだけでも、
写真を全部抜き取ったら何万枚にもなると思うの。
それを1枚ずつ洗って干して新しいアルバムに入れる地道な作業。
手にした写真を見ながら、、、
十人十色な写真の撮り方があること、
いろんなヒトのいろんな思い出があること、
他人に見られたくない写真は即刻処分すべきこと(笑)などなど、
いろいろ感じることができました。


すごかったのがねーーー、
2〜3枚重なって入れてある写真があったりしてね、
くっついてるのを、壊さないようにはがしてるわけよ。
教授1「どうして重ねて入れるんだろね(イラッ」
女子「下に好きなヒトの写真が入ってるとか?」
教授2・私「まさかー(ゲラゲラ)」
教授1「(はがしながら)いや、ほんとみたいだよ。ほら。」
って出てきたのが、中学生くらいの男女のツーショット。
すご〜〜〜い。
そういうオトメな脳みそ、私は持ち合わせてなかったんだなー。ザンネン。


東京組の専門家なみなさんが午後一で帰られた後は、
地元のいちご農家で、写真修復作業のリーダーをされてるたかいさんと、
東京からいらしてたこどもの会のこすげさんご夫妻と、
4人で楽しくわいわい作業してました。
緊張してた午前中より楽しかった。
(こすげさん、ココ見つけていただき、ありがとうございます!!)


洗って乾かされ、新しいアルバムに入れられた写真や思い出の品たちは、
被災者のみなさんが探せるようにキレイに並べられています。

この日は雨でしたが、みなさん探しに来てました。
「あらー、これみっちゃんだー。みっちゃん、今、静岡なんだよね。教えてあげないとー。」
「この写真の中におれがいんだげんとも、誰のだべー。」
自分のがなくても、誰かのがあったり。
「これ、うちの位牌なんですけどー」
ご自分のと再会できたり。


キレイにしてもらえたたくさんの写真たち、、

見つけてもらえたら嬉しいね。


写真修復作業、、、
たかいさんに、
「ぜひよその避難所やよその地区に伝える役目を。」って言われました。


そして、被災地のみなさんへは、
たとえ今、自分のが見つからなくっても、
随時、自衛隊さんがアルバムや思い出の品たちを運んできてくれてるそうです。
だから、あきらめずにまた来て、って。


て、真面目なコトを書いた後になんですが、
私はと言えば、、、
こういう地道な作業は、すぐに集中力が切れるので、、
たかいさんの目を盗んでは、いろんなとこ、うろうろしてました。
おいしそーだね(・∀・)

なんて声かけてるところを、始めのヤマザキマサヨシに見つかったり。
避難所住まいのおかーさんたちと立ち話で花咲いたり。


「ボランティア、えらいねー。」って思われるのがなんだか申し訳なくて、
「私、仕事の休みに遊びに来ちゃってる感じなんです。いつも。」って。
いつもいろんな人とお話できて、ほんと楽しんでます。休日の被災地めぐり。


帰り際、ヤマザキマサヨシに、
「また遊びに来てね。泊まれるから。」
「ほんとですか?(・∀・)」
「おれの隣はキケンだよ。」てニヤっとされて、
苦笑いしながら退出してきました(笑)


気仙沼の某中学校、そんな感じ。
高台から津波くるの見てたヒトが多かった。
海側じゃなくて、山側から津波に襲われたって話をよく聞いた。


「こうなっても、生ぎるしがねんだもんなー。」

採ってきたばかりのワラビを握るおとーさんの言葉です。


帰り道、、
この日の空を撮っとかないとーって。

手前の景色が壊れてることに気づかず撮ってた。